自由学園明日館
2025年4月10日
2025年4月10日
ぶらり建築散策
今回は東京、池袋駅西口から南に7分程歩いたところにある自由学園明日館に立ち寄りました。訪れるのは今回で3回目ですが、桜の時期は初めてです。
自由学園明日館
この建物の施主は「婦人之友会」創設者であり家計簿考案者である羽仁もと子・吉一夫妻(1873-1957) 夫妻は自身の娘の教育のため女学校「自由学園」を創立(1921/大正10) その校舎の設計を友人である遠藤新(1889-1951)に相談したところ、夫妻とライトがつながります。
ライトとは、コルビュジエ、ミースと並び、この時すでに近代建築の三大巨匠といわれていたアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト(1867-1959) 建築方面に明るくない方でもタリアセンの照明器具は見たことあるのではないかと思います。
遠藤はライトの弟子であり、ライトの日本仕事を統括する立場にいました。
当時のライトの事務所は、東京都日比谷に建てられた旧帝国ホテル・ライト館(1916-1923)の設計/工事監理で多忙を極めていたはずですが、夫妻の教育理念に深く共感し快く引き受けたといいます。 設計の命を受けたライトと遠藤は「優れた意匠設計は子どもたちの教育に必ず役に立つ」という信念のもと、真心をもって学園設計に向き合います。
巨匠の建築とその仕事とは一体どんなものでしょうか。桜を見つつ巡ります。
「自由学園教育理念:知識の詰め込みではなく自らが考え学ぶ子どもを育てたい」
自由学園明日館を訪れて一番先に目につくものは何といっても素晴らしい装飾だろうと思います。
幾何学模様の窓、壁や天井に走るライン、つるつるとごつごつが混在する大谷石、照明器具のようにデザインされた自然光のトップライト、独特なデザインの換気口と換気棟、什器他多々、とんでもなく凝った造りをしています。
当時の図面はもちろん手書き。期間が潤沢にあったわけではなく、かつ同時期にあの旧帝国ホテルも設計しています。背景を知って改めて見てみると、ライトと遠藤の深く凄まじい熱量を感じます。同じ時間軸で生きていたとは思えない作業量です。
そのすべては100年前の子どもたちを想って選定/デザインされたといいます。
ライトの建築空間
もし訪れることがあれば、1Fホール前の廊下で天井に向かって手を伸ばしていただきたいです。外靴を履いているのもあって小柄な方でなければおよそ手が届くと思います。実際に天井に手が届くと「こんなに低いの?」「巨匠の建築なのに??」と固定観念を揺さぶられます。ですが個人的にはライトの建築空間の良さは、この低さを伴う抑揚を使った空間の切替えにあると思っています。
入口からフラットな天井が続くため気付き難いですが、床レベルを変えることでまず水平方向を意識させつつ、天井の低い廊下から天井の高いホール / 食堂 へと移動するに伴い、視線が水平から縦方向に変わるため空間の広がりをより感じることができる、そのような構成がなされています。空間の切替え(スイッチング)を行っているのです。
一見地味でマニアックに見えるかもしれませんが体感するとなるほどと思います。良い建築はこのような場が必ずあります。
食堂の吊り照明
食堂にある印象的な吊り照明、これは設計時にはなかったものです。スキップフロアにより周囲より床が高く3方バルコニーに囲まれていたため、開校時の食堂はとても明るい場所でした。そんな場にこんな立派な吊り照明があるのは、なぜでしょうか。
理由は空間構成を考えてのことだったようです。竣工後、縦方向の視線が抜けすぎると感じたライトが、現地で指示し加えられたものと言われています。吊照明の無い空間を想像すると締まりがないというか少し物足りなさを感じます。
個人的には、これと用途は全く違うものの空間に於ける意味合いとしては類似の教会建築のタイバーのような役割を果たしているのではないかと推察しています。またその一方でタイバーのようにしたくなかったから存在感を強調したようにも思います。
バルコニーはその後生徒増を理由に室内化され、現在の食堂の形となりました。
ライトの明暗
ライトの空間は独特な明暗があると個人的には思っています。実際行かれた方でないと伝わらないかもしれませんが 光があるのに暗い と感じます。実際には窓が連続する一方で、外の深い庇の影響を受け屋内はほんのり暗いです。暗いはずなのに相反する感覚を覚えるのはおそらく 窓が多い=明るい と脳が錯覚しているからだと思います。
人は明るい場所より少し影のある空間の方が落ち着くという習性を持ち合わせているのだと思いますが、ほんのり暗いところに人が滞留します。ライトの独特な明暗に自然に惹かれていく様は見ていて面白いです。
そこにいる人は私のような建築畑もいれば、一般の方もおられます。動かない理由のひとつに「その場の心地よさ」があると思うと、その感覚は建築畑だけが感じる感覚というよりは一般の方にも共通する感覚なのだろうという理解ができると思います。
感覚的に気持ちいい、その場所をあちこち探すのも建築探訪の楽しみの一つです。
人を集めるには良い一方でここ自由学園にあっては暗すぎたため、ライト自身が奥の教室の菱形窓を追加したという逸話が残っています。また移転後の自由学園(東久留米市 / 設計:遠藤新)が控えめな庇で設計されていることから、設計者自身プレーリー様式が必ずしも教室向けではなかった、その様に感じていたのではないかと推察しています。
ライトの建築
ライトが設計した建築物は世界に200ほど現存するといわれていますが、アジア圏にあっては唯一日本に存在し、現存する建築物は4つあります。その内、ほぼ竣工当時の姿を見られるのはヨドコウ迎賓館(兵庫県芦屋)とここ自由学園明日館の2か所のみであり、日本にとっても世界にとっても貴重な建築物です。
自由学園は1922年竣工しますが生徒増を理由に数年後に学園が移転。校舎だけが残り名を「自由学園明日館」と改めます。関東大震災(1923)関東大空襲(1945)を免れた建物は傷みが激しく、数年にわたり耐震改修が行われたのちに重要文化財の指定を受けます。そして2022年に100周年を迎えました。
「建物は使ってこそ残す価値がある」という考えを基にした保存形態を「動態保存」といいますが、ここはそのモデル建築物となり運営されています。良いものを次世代へ継承するという考え方は災害過多の日本にはなかなか根付きにくいかもしれませんが、世に広まることを願います。
明日館前の道。ここは通称「F.L.ライトの小路」と呼ばれています。
写真右:自由学園明日館 左奥:自由学園講堂 /遠藤新 左手前:婦人之友社 本社ビル /遠藤楽(遠藤新の息子/1927-2003)
ライトとともに設計を進めた遠藤新はライトがアメリカに帰った後も日本で建築設計を進め、ライト同様の建築を世に残しています。それらは文化遺産や家主継承により今も日本各地に点在しています。また機会があればご紹介したいと思います。
暖かい日だったこともあって家族連れも多く、けらけら笑いながらホールを走る子が数人居いました。ライトが見た景色かはわかりませんが、個人的には子どもたちの方が建築空間をわかっているなぁと見ていて思いました。
建築は体感できるという利点があります。その中にはすごいと感じるものもあれば、そうでもなかったと感じるものもあります。そのどれもが正解で、自分がどう感じるかが大事だと思います。
もし機会があるようでしたら現地に足を運んでいただいて、歴史ある建物とその空間をぜひ御体感いただきたいです。
名 称:自由学園 明日館(みょうにちかん)
場 所:東京都豊島区西池袋
見 学: 可 / 予約不要
入場料:一人500円~
時 間:10:00-16:00
竣 工:1922年~1927年
設 計:フランク・ロイド・ライト / 遠藤 新
出 典:故人年表/建築年表/由来/他©自由学園明日館HP ©婦人之友社HP ©wikipedia タリアセン©ヤマギワ
※ブログ掲載にあたり事前許可/承諾済
桜つながりで今週の目黒川を載せて終わりにします。
写真は4/6(日)朝6:40の目黒川の様子。川の上を横断する建築物は中目黒駅です。
今年も無事満開のさくら並木。さくらはケツメイシ、目黒川沿いはSOFFet。頭の中のBGMはなかなか更新されないようです。